どういう死に方をしたいですか?

先週からお手伝いしてるITベンチャーの仕事で、久しぶりにWebマーケティングなるものをやっているさなか、面白いブログを見つけた。
世の中にはすごいブログがあるもんだ。


内田 樹の研究所


たーまたま覗いたブログなんだけど、長い間「なんでこうなんだろう・・」と考えてた問題に対して、一つの新しい切り口を与えてくれた。「そういう考え方もあるのか!」みたいな。

快感原則の究極のかたちは死である。
死んでしまえば、もう変化はない。
ニルヴァーナだ。

「ああ、これでやっと永遠の安定に還ることができる」という瞬間にタナトス的な「快」は最大化するはずである。
セックスにおける快がそうであるように、快というのは、欲望が消失するまさにその瞬間に最大化するものだからである。

「生きていながらぎりぎりで死に触れている臨界線上」に身を持すのが、生物が生物として経験できる最大の快であることになる。


私は常々、人生観は死生観とイコールになると思ってきた。
どう死ぬかを考えることからしか、どう生きるかを考えることはできない。


ビジネスでも明確なゴールセッティングから、そこに到達するまでのプロセスやメソッドを考えるように、人生もどう死ぬかを考えることから、どう生きるか、何をして生きていくかを決めることができる。
そう思ってきたけど、そう思わない人が意外と多いみたい。先日弟に「その考えは違う!」と反論されて軽くショックを受けた。
まあひとはいいや・・。


死を意識するようになってから人生が輝きだす。
よく聞く話だけど、本当にその意味を考えるひとは少ないと思う。
私の周りにも死と隣り合わせの環境にいる人が何人かいるけど、彼らは真剣に人生を生きているし、そこから学ぶことは多い。


そういう意味で私が一番に考えているのは、ミリオネアになることでも、いっぱしのギャラリストになることでも、若手IT社長になることでもなく、最高の死に方をすること。


では最高の死に方とは何か。
それは死ぬ瞬間に 「やっほーい!俺の人生サイコーだったぜー!生きてて良かった〜、生まれてきて良かった〜。とーちゃん、かーちゃん、生んでくれてありがとー。両親も、兄弟も、子供も、女房も、みんな幸せに死んでおくれー!そいじゃアディオス!」
と思えること。
死ぬ瞬間にそう思えたら、人生成功。それが私の人生のゴール。(本気ですよ。。)


ぶっちゃけ人なんていつ死ぬかわかんないじゃないですか。
人生80年計画でなにかを成し遂げよと思っても、あまり現実的じゃないんですよね。明日テロにあうかもしれないし、その辺の怪しげな鶏食って、鳥インフルエンザで死ぬかもしれないし。(実際咳気味なのが気になりますが。。)


じゃあどう生きていけば最高の死に方ができるかというと、結局は毎日を楽しく、前向きに生きていくことしかないんだと思う。
ビジョンを持って、モチベーションを高く保って生きていく。それが最高の死に方につながるんじゃないかと。


何が言いたいかというと、そう私がそう思うのも、

「生きていながらぎりぎりで死に触れている臨界線上」に身を持すのが、生物が生物として経験できる最大の快であることになる。

というロジックが、無意識のうちに働いてるからなのかなーと思ったことです。
そりゃ弟と意見も衝突するのも無理ないなと。。
まあ、その話はこの辺にしておこう。


とにもかくにも、ブログってすごいね。
最近じゃ書籍で得る情報より、ブログからの情報の方が質が高い気がする。実際そのうちのいくつかは、そのうち本になったりするんですけどね。

投資してる時間も、本よりブログの方が多くなってきた。
時代の流れですね〜。