アンワイアード 果てしなきインターネットの未来−4Gへのシナリオ

昨日梅田氏の「ウェブ進化論」を読んでから、テンション上がりまくりっす。こういうときは、一気に関連の情報をインプットしておいた方が効果的。


ということで読みました。


アンワイアード―果てしなきインターネットの未来 4Gへのシナリオ
アレックス ライトマン Alex Lightman 村井 純
4844320793


これはネットというか、もろインフラの部分、モバイル通信についての本。日本ではすでに普及しつつある3G携帯の次の世代、「4G」の未来について書かれた本だ。


でも期待はずれ。。
1G→2G→3Gと進化してきた過程・技術的背景と、4Gに移るにはこういうリスクや障害が考えられて、こういう規格が有力ですよ、ということがと語られている。
私はその「想定される利用法」や、今後直面するライフスタイルの変化に興味があったのだが、

果たしてこの中でどんな新しいことが出来るかというと、言及することは控える。なぜなら本当の情報社会の中には無限の可能性があるからだ。


と、言及を控えておられる。。おーい!
4Gへの移行は私が想定できる範囲内での変化だろう、ということが収穫といえば収穫かな。


ひとつ考えさせられたのが、下記の文。

デジタル情報をやり取りできる自由というものが確立された社会の中で、人間はどうやって生きていくのか。人間社会はどうやって作られていくのか、あるいはその自由を前提に我々の活動をどう考え直すのかということを真剣に考える時期にちょうどきているわけである。

この文から、昨日読んだ「ウェブ進化論」に、「インターネットの神様が存在して、人々がその神に従って生きていく」という様なくだりがあったのを思い出した。
つまり、手テクノロジーによってネット上で発生し形成されていくバーチャル社会は、リアル社会より優れていて、人間の方がネットの掟に従い、ライフスタイルを適応させていかなければいけないという意味だ。
どうやらグーグルにはそのように真剣に考えている社員が結構いるらしい。あのグーグル帝国の社員が!


「インターネットなんぞ結局人様の道具に過ぎないじゃないか!」というのは至極まっとうな意見だと思う。
でも、でもだ。
昨年頃から、私自身感じているネットによるライフスタイルの変化や、情報リテラシーのあまり高くない友人や知人との会話で発生する埋めがたいギャップ、そして今後進化していくバーチャル世界を考えると、あながち「インターネットの神様」は存在し得るんじゃないかと思えてしまう。
そして将来、人間がネット成長に置いていかれないよう、もがきながらしがみついている様も想像できる。。


人間あってのネットなのか、ネットあっての人間なのか。
前者なのは当然だけれども、「人間を主体としたコミュニケーションが、どのように展開していくか」を、一度考え直さなければ、ネットによって「人間らしさ」さえ失われていく気がする。
それだけのスピードと破壊力を、ネットはおそらく持っているから。